女子高生が起こした事件に対するコメントがあまりに心が無い事について
先日、あるニュースで女子高校生が電車に飛び込み重症を負ったというショッキングな情報が流れていました。
また、同じく女子高校生が放火したとのニュースもほぼ同じ日に流れていました。
とてもショッキングでしたが、私がもっとショックだったのがそのニュースに対するコメント欄の内容です。
例えば「人身事故で電車を止めたのは大勢の人に迷惑をかけているのに気づいていないのかとか。親にどのくらいの損害賠償金が請求されるのか。放火については、未成年でなければ極刑もあり得た。未成年だろうが重い罪に問わなければならない。」とするものです。
このコメント欄は本当に悲しい気持ちになります。
どうして、その子達の気持ちに寄り添えないのか。その子達がどれだけ辛い思いをしていたのか。
私はその子ども達の気持ちを考えるだけで泣いてしまいました。「本当に辛かったんだろうな。回りの大人は救えなかったのかな。もし、自分が近くにいたら何をしてあげられただろうか。」
大なり小なり問題行動を起こしている子の、「行動」だけを見るのではなく、その行動の「目的」を考えてあげることが大切だと思います。
その目的はもしかしたら、限定した誰かに困って欲しいと思っての行動ではないでしょうか。これだけ世間に注目されたらきっと「あの人」も 困るだろう。だから自分に目を向けて欲しい。自分はここにいるんだ!という目的を達成するために自らの人生をかけて実行に移す。その流れだと思います。
自分にできることは何だろう。このニュースを見て常にそう考えます。
事件、事故を起こした本人やその周りの大人、それに影響を受けた人、そしてこのニュースを伝えている人、コメントをした人、そのコメントを見た人。全てマイナスのオーラで囲われている気がします。
自分が幸せになり、他の人も幸せにするためには何ができるだろうと考えた時、「あなたはぜったい運がいい」という本にも書いてある通り常に自分の心を「プラスのパワー」で満たしておくことだと思います。
これを意識している人は、自分自身がプラスになったら、今度は他の人に働きかけて「負のオーラ」(悲しみ、怒り、憎しみ)を打ち消すよう、プラスで満たしてあげる。
自分がまず幸せになって、それから他の人にも幸せになるよう働きかける。そんな社会になったらいいなと思います。
しかし私一人では、小さな影響力しかありません。
皆の力で変えていければ、世界はもっと良くなっていくと思います。